走る駅鉄各駅停車
流鉄流山線 馬橋駅~流山駅
流鉄流山線は千葉県の馬橋駅から流山駅までを結ぶ全長5.7km、駅数6駅(起点終点駅含む)、所要時間11分の短い路線だ。運行間隔は10~20分で、ローカル線?とみると便数はかなり多い路線と言える。
「流山軽便鉄道(けいべんてつどう)」として開業したのが大正5年(1916)というから、100年以上も走り続けている歴史ある鉄道だ。流山の商工人秋元平八(あきもとへいはち)ら数名が発起人となり、大正元年(1912)鉄道敷設免許申請を提出し翌年認可された。秋元平八は明治2年(1869)に流山で生まれ、本家の秋元三左衛門とともに味醂(みりん)「天晴(あっぱれ)」の醸造を手掛け、ほかに醤油も製造していた。平八は新し物好きな風流人であったらしく、俳句を趣味とし、文学・美術も好きで小説家や画家とも交流が深く、国木田独歩や田山花袋、岡倉天心や横山大観なども彼のもとを訪れていた。
「流山軽便鉄道」は出資者が一株株主に至るまで流山居住の人々であったことから「町民鉄道」と呼ばれていた。その後めまぐるしく社名が変わる。大正11年(1922)社名を「流山鉄道」に変更。昭和24年(1949)に電化され、昭和26年(1951)社名を「流山電気鉄道」と改称。昭和42年(1967)「流山電鉄」となり、昭和46年(1971)に「総武流山電鉄」と改称。そして平成20年(2008)に社名を「流鉄」に、路線名を「流山線」に変更した。
路線は住民の利用だけでなく、流山の名産である「みりん」の輸送や、戦時中は一時軍用にも使われていたが、1993年度をピークに収益・乗車人数とも減少傾向が続いている。マイカーの普及、トラック輸送の効率化の影響に加え、少子高齢化で通勤・通学客が減少し、また2005年の首都圏新都市鉄道「つくばエクスプレス」の開業など、競合交通機関の登場により2005年度の年間乗車人数は、前年度2004年度に比べて約16%も減少、特に流山駅では1日の利用客が50%近く減少した。現在は単なる交通機関としての存在に止まらず、地域活性化の一環として駅や指定列車内でのイベントなど、観光鉄道的な取り組みも積極的に行っている。
現車両は3000形電車#5000形で、2009年に西武から譲渡された元、新101系で、クモハ5000形、クモハ5100形の2両編成。赤、黄色、ピンク色などに塗装が変更され、「あかぎ号」「さくら号」「なの花号」「流星号」など、個々に名称が付けられている。面白いのは赤色の「あかぎ号」と黄色の「なの花号」を連結させた色違い2両編成車は「オムライストレイン」という洒落た名前が付いている。都会の住民は「電車なんてどれも同じだ」と思っているが、流山線は愛称が付いていることで各車両に愛着がわく。
流山市総合運動公園に静態保存されている電化前の旅客輸送の主力車両キハ31形
早速、一日フリー乗車券を購入してクモハ5000形オムライストレインに乗り込んで出発。走り出してすぐに感動!。揺れる、上下左右にシェイクされる。これは都心の電車では味わえない揺れだ。すばらしい!。のどかな住宅街の中を進み、10分ほどで終点の「流山駅」に到着した。
ドア上部に掲示された観光列車風の路線図。
私は西武線沿線に住んでいるので、なじみのある車内風景です。
1.流山駅 ながれやま
流山の地名の由来は赤城山の山体が崩れ、大きな岩塊が利根川を下って流れ着いたという逸話からきている。18世紀頃から江戸川の水運のための河岸ができ、名産の味醂が出荷された。現在もミリン醸造で栄えた古い店蔵が建つ情緒ある街並みが残っている。また、幕末には新撰組隊長、近藤勇がここに置かれた本陣から新政府軍に投降し、板橋で最期を迎えることとなる。流山は幼なじみの土方歳三と、最後の離別の地となった所だ。
島式ホーム一面2線、東側に側線があり夜間滞泊も行われる。1番線の先に検車区があり、終着駅だが頭端式ホームではない。昭和っぽい?木造駅舎は大正5年(1916)創業当時の建築で、何度か修理、一部改築が行われている。
「東京近郊にありながらローカル色のある駅」という理由で「関東の駅百選」に選定されている。
駅舎全容。終着駅らしい良い雰囲気です。
開放的な出入り口。
待合室内。窓口と切符自販機があります。
写真は6年前の2015年11月に訪れたときのものです。寒くなると町民の手作り座布団が登場します。
南側の跨線橋より見た駅の全容です。2番線ホーム停車中の電車は「流星号」です。
到着したオムライストレイン。待機線に停車しているのは「さくら号」です。
車名はすべて一般公募で命名されました。
卵焼きからケチャップライスが・・
終点の車両基地。緑の車両は「若葉号」
流山線の距離は5.7kmしかないので、徒歩でも十分巡る事ができるが、時間短縮を狙って味醂工場への引き込み線跡にある自転車屋でレンタサイクルを借りた。そして、まずは地域の情報を得るために、駅の北350m程に位置する「流山市立博物館」に向かった。明治時代の街並みのジオラマがあって現在と比較するとおもしろい。
現在の「流山大通り」付近の地図です。右が北です。
かつてのメインストリート「流山大通り」を行くと情緒ある古い店蔵が残っている。「浅間神社」には富士塚があった。高層ビルのなかった時代に江戸川越しに見える富士山は、まさに「神の宿る山」に見えたと想像できる。中程に「新撰組本陣跡」があり解説板が建っていた。
東側の万上通りを南下すると流山市の特産品である白みりんを製造する流山キッコーマン株式会社の東側の壁面に白みりんに関する歴史的な資料を掲示した壁面展示のみの美術館「流山まちなかミュージアム」があって、昔のみりんのラベル、天晴みりんと万上みりんのポスターなどが展示されている。流山駅からここまで続いていた引き込み線の跡も確認できる。
上の古地図によると「たび丁子屋」です。
かつて流山駅から万上本みりんのキッコーマン工場に向かう貨物引き込み線がありました。
この緩いカーブが廃線跡です。
南に300mほど進んで左折すると「平和台駅」が見えてくる。
2.平和台駅 へいわだい
単式ホーム1面1線。昭和8年(1933)「赤木駅」として開業。流山の地名逸話を持つ「赤城神社」の最寄り駅だ。現在、駅の東側は平和台と称する新興住宅地になっていて、昭和49年(1974)に駅名も「平和台駅」となった。また、南西側にはかつて江戸川の水運を利用した陸軍の糧秣本廠(りょうまつ ほんしょう)があったが、現在は大型商業施設や県立高校が建っている。(糧秣廠とは、兵士の食糧と軍馬の飼料を管理した日本陸軍の部署のことです。)
駅舎全景。二階建とは珍しいです。
入口から改札に向かうスロープ。自販機にシャッター?かつては販売所があったのでしょう。
隣のふるさと産品のポスターのところにはディスプレイウインドウがあったようです。
流山方面。終点の流山駅までは、まっすぐに北上します。田園風景は無く、住宅地を進みます。
ホーム側から見た改札口。
駅員さんが居たので一日フリー切符を見せて、撮影許可を頂いてから入りました。
駅から西へ500m程の所に「赤城神社」がある。江戸川縁の平坦な土地に、海抜15m周囲350mの小山があり、この山が群馬県赤城山から流れてきた山体の一部とされ流山の地名由来となった。その頂上に鎮座するのが「赤城神社」だ。江戸浅草の隅田川沿いにある「待乳山聖天」と似た環境だ。以前来たときに隣接する「光明院」、「流山寺」にも参拝しているので、今回は先を急ぐこととする。
南に進み、県道280を左折して「つくばエクスプレス」をくぐって左に進むと「鰭ヶ崎(ひれがさき)駅」の200m手前に東福寺の参道がある。「東福寺」は引仁5年(814年)創建の真言宗豊山派の寺院で、境内の千仏堂には約千体の阿弥陀像、大きな金剛力士立像、「俵藤太(たわらのとうた)百足退治の大絵馬」、左甚五郎(ひだりじんごろう)作「目つぶしの鴨」の彫刻など、文化財が多く保存されている。また、この地を「鰭ヶ崎」と呼ぶようになった弘法大師の伝説を持つ寺院だ。石段を登ってお参りする。
シンプルなデザインの東福寺仁王門
3.鰭ヶ崎駅 ひれがさき
単式ホーム1面1線。スロープがあり車椅子対応可能だが、起点駅の馬橋駅はバリアフリーではないのでJR線に乗り換えるには幸谷駅経由かな?。
北東側から見た駅舎。大きな駅名表示。
駅の全容。バリアフリースロープ。
ホーム側から見た改札口。
外側より見た改札口。
ホーム上にあるきれいなトイレ。
駅名標。「鰭」を読めない人もいるでしょう。
県道280白井流山線を進んで、坂川を渡って300m行って左折すると「小金城趾駅」だ。
4.小金城趾駅 こがねじょうし
島式ホーム一面2線。すべての上下線の交換をここで行っています。沿線唯一の橋上駅舎。
階段の上が改札口。駅名表示が小さいので遠くから見ると、何の建物だかわかりません。
橋上改札口。「定期券拝見」の看板がGood!
ホーム側から見た改札口。
島式ホーム馬橋寄り端に階段が有ります。
馬橋方面。ホームの右に向かう橋は新坂川を跨ぎます。右端ちょこっと写っています。
馬橋方面。流山行電車はこのまま直進します。
流山方面。流山から来た電車は2番線で待機している電車の直前で右にクイッと曲がるのでホッとします。
橋上から流山方面。
オムライストレインだから車体の色が赤になっていますが、上の写真と同じ列車です。
100年の歳月が作り出した曲線美です。素晴らしい。
新しくきれいな駅名標。
線路は坂川に沿って南下する。川沿いには新坂川通りが走っているので、道なりに進めば「幸谷駅」の西側に行くが、駅の入り口はビルの東側にあるので、けやき通りの橋を渡って左折してJR武蔵野線の高架下を行かなければたどり着けない。かなりわかりにくい。
5.幸谷駅 こうや
単式ホーム1面1線。駅舎は大きなマンションの一階部分に組み込まれていて、駅入り口はJR武蔵野線の高架下の踏切を越えたところにある。「新松戸駅」との接続連絡口はないが直線距離で80m程だから徒歩1~2分。JR常磐線、JR武蔵野線との乗り継ぎができるので、路線中一番利用者の多い駅だ。
駅に向かうにはこの路地を入る。初めて来た人には甚だわかりにくい。
同じ看板の裏面をホーム側から見ています。高架の上はJR武蔵野線。
先に見えるのがJR新松戸駅です。
駅ビルではなく、マンションの一階が駅です。
馬橋方面。ビルの狭間を単線が真っ直ぐに通っています。
駅全景。線路上部を横切るのはJR武蔵野線です。
流山方面。ホーム側から見た改札口。
駅名標。改札の上には「新松戸駅のりかえ」と大きく書かれた看板があります。
鉄道むすめ「幸谷なのは」さんのパネル。
再び線路沿い、川沿いの新坂川通りを南下して長津橋を渡って馬橋駅東口に出てから、1.5km東に位置する「万満寺(まんまんじ)」に向かう。万満寺は建長八年(1256)下総の守護、千葉頼胤(よりたね)により創建された真言宗「大日寺」を、室町時代に子孫の千葉満胤(みつたね)が臨済宗の寺院として再興し、「万満寺」と改名。水戸街道の要衝に位置し、水戸からここまで来ると江戸が望めたことから門前の道は「江戸見坂」と呼ばれた。明治41年(1908)大火に遭ったが伽藍は立派に再建されている。
雄大な万満寺の山門。
6.馬橋駅 まばし
明治31年(1898)日本鉄道土浦線の駅として開業。大正5年(1916)流山軽便鉄道開業。昭和45年(1970)に橋上駅舎ができる。改札口は両社別でJRは橋上駅舎、流鉄はホーム上にある。連絡改札口は存在しないため、乗り換えの際は一度改札外に出る必要がある。跨線橋から流鉄流山線のホームに続く階段を降りると、令和からいきなり昭和へタイムスリップする。
島式ホーム一面2線だが2番線は臨時ホームで通常は1番ホームのみが頻用されている。階段下のホーム上に切符自販機、改札口があるが、流山線はどの駅でも改札(入鋏)は省略され、列車到着時に駅員が集券する。また、東京駅から最も近いICカード非対応駅である。
この階段がタイムトンネル。JR常磐線との唯一の連絡通路です。
切符券売機。Suica Pasmoなどのカードは使えません。
一日フリー乗車券は窓口で買います。
入鋏省略の改札口。電車の発着の度に左の駅員室から駅員さんが出てきて改札します。
路線図と運賃表
駅名標。流鉄は略語ではなく正式社名です。
先頭車両付近のホーム。先にあるのは待合室です。
ホームの先端にある待合室内は清潔で閑散としています。扇風機があるのでエアコンは無いのかな?
左奥がJRのホーム。ちょうどJR東日本の最新特急E657系「ひたち」が通過しました。ちょびっとだけ。
見上げると木造の骨組み。良い感じです。
西口です。右の建物は松戸市役所支所などが入る「馬橋ステーションモール」。橋架下は新坂川です。
帰路は江戸川沿いの、「江戸川サイクリングロード」をのんびりサイクリングして流山に戻り、レンタサイクルを返却してから流山線で帰ってきた。
流山線は近郊にあってローカル色が感じられる魅力的な路線だ。多くの方に乗ってもらいたい。
2022.6.26
