いすみ鉄道 前編    (上総中野駅~大多喜駅)

 

 いすみ鉄道いすみ線は、千葉県いすみ市「大原駅」から夷隅(いすみ)郡大多喜(おおたき)町「上総(かずさ)中野駅」までを結ぶ26.8kmの鉄道路線。駅数は14駅(終点起点を含む)。旧国鉄の特定地方交通線である東日本旅客鉄道(JR東日本)の木原線を引き継いだ路線で、沿線自治体などが出資する第三セクターの鉄道である。主要株主は千葉県 34.20% 大多喜町 15.17% いすみ市 14.28% 小湊鉄道 5.58% 千葉銀行 3.72% (2019年時点)となっている。

 沿革を略記すると、大正元年(1912)千葉県営「大原大多喜人車軌道(じんしゃきどう)」が開業し、大原~大多喜間が軌道で結ばれた。しかし動力は人力なので所要時間は約2時間30分もかかった。大正十年(1921)社名が「夷隅軌道」となり、大正12年(1923)から気動車による営業運転が開始、所要時間は1時間に短縮された。しかし、同じ区間を通る計画の国鉄「木原線」の建設が大正十四年(1925)に決定されたため、昭和二年(1927)に全線が廃止。そして昭和五年(1930)に、夷隅軌道に換わって「木原線」大原~大多喜間が開通した。元々の計画では久留里(くるり)線と結んで房総半島を横断するはずであったが、上総中野駅~上総亀山駅間は建設されずに現在に至っている。木原線という路線名は、木更津の木と大原の原からとられたものだ。昭和56年(1981)に国鉄再建法により第1次特定地方交通線に指定され、昭和62年(1987)の 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道(JR東日本)に引き継がれた後、昭和63年(1988)にいすみ鉄道に転換された。 (wikipadia)

 所有車両は、いすみ300(2両)、いすみ350(2両)、キハ20(1両)、キハ52(1両)

 

 千葉県房総半島を横断する小湊鐵道、いすみ鉄道は「魅力的な駅」の宝庫だ。昨年同時期に「小湊鐵道」を巡ったので、今年は上総中野駅からいすみ鉄道沿いに走って、大多喜城下を散策しがてら外房の大原駅まで走る計画を立てた。

 昨年のように履行日前日に五井のビジネスホテルに一泊して、翌朝9:06発の上総中野行きに乗車した。キハ40形機動車は、エンジン音、発車速度、揺れ具合まで心躍る夢の列車だ。終点の上総中野駅まで行き10:22自転車を組み立てた。

 

1.上総中野駅  かずさなかの

 昭和三年(1928)小湊鐵道の駅として開業し、昭和九年(1934)に旧国鉄木原線(現いすみ鉄道)が接続した両線の乗り継ぎ駅だ。両線は営業的には接続されていないが、南側にある側線は接続されていて、これを利用すれば構造的には内房と外房が繋がるようになっている。北側の駅舎のあるホームを小湊鐵道が使用し、踏切を渡った南側のホームをいすみ鉄道が使用している。それぞれ単式ホーム1面1線。乗り継ぎ駅だが無人駅で、同じ路線での車両交換はなく、入線した列車は乗客の乗り降りが終わると、それぞれ上り列車となって引き返して行く。駅前広場も終着駅といった雰囲気はないが、なぜか心が落ち着く魅力的な駅だ。

小湊鐵道のキハ40形(右)といすみ鉄道の20形(左)

右がいすみ鉄道上総中野駅ホーム

乗ってきたキハ40形が五井に引き返していきます。

いすみ20形が大原に向けて出発しました。

いすみ鉄道ホームから五井方面

大原方面。右の側線は小湊鐵道と繋がっています。

ホームから見た駅舎。素敵です。

右の丸い建物は公衆トイレです。

風情のある魅力的な駅舎です。

竹をイメージしたデザインの公衆トイレ。洒落てます。

 

 駅前からルート465に出て東に100mほど行った所を右折して線路の南側の細い道に入ると「天然ガス井戸」と「蒸気機関車用井戸」がある。SLが走っていた時代に思いを馳せながら写真を撮ってから465に戻り、1.7kmほど行くと左手に大多喜町立西小学校があり、その手前に質素な「西畑駅」がある。

柵に囲まれた所に蒸気機関車用の井戸があります。天然ガス井戸は線路の向かいですが、

この写真には写っていません。左端の白い建物は上総中野駅前のトイレです。

 

2.西畑駅  にしはた

 単式ホーム1面1線。近くには住宅も点在し、大多喜町役場西畑出張所、大多喜町立西小学校、大多喜町農村コミュニティーセンター、庄司生活環境改善センターなどもあるが、令和2年の一日乗車人員は一桁だ。住民の移動手段は専らクルマなのだろう。

 ホーム横の踏切のネーミングを見て、浮世絵師歌川広重の江戸百景「王子装束ゑの木 大晦日の狐火」が頭に浮かんだ。

踏切から見たホーム

上総中野方面。四阿舎のような和風の待合室です。

大原方面。駅南側は田園地帯です。

何故か香川のトヨタが命名権を購入したそうです。

昔はキツネがたくさん集っていたのでしょうか?

 

 ルート465を道なりに3kmほど走り、左に90度曲がったところに「総元駅」がある。

赤いトンガリ屋根、水色ノッポな駅舎は遠くからでもよく目立つ。公民館と合体しているので大きな駅に見える。

 

3.総元駅  ふさもと

 単式ホーム1面1線の無人駅。昭和8年(1933)鉄道省木原線の終着駅として開設。昭和9年(1934)木原線が上総中野まで延伸し、途中駅となった。平成4年(1992)に建てかえられた駅舎は目立つのに周囲の景観に溶け込んでいる素敵な駅。

左側の白い平屋の建物は公民館です。

チャペルのような雰囲気の待合室。

ホーム側から見た改札口。外のベンチが良い感じです。

赤いトンガリ屋根、蒼い空、白い雲・・夏だぁ~

 大原方面。

 上総中野方面

メルヘンチックな駅です。

 

 次の「久我原駅」を目指してルート465を走る。1.8km行ったら右折して線路を渡って、南に戻るかたちで進まなければならないのに右手に踏切が現れてこない。大多喜町「味の研修館」の看板を過ぎたら右手に「東総元駅」が現れた。・・・通り過ぎてしまった。

 

5.東総元駅  ひがしふさもと

 単式ホーム1面1線。ルート465沿いに駅がある。何故か待合室内に大きなおみくじが設置されていた。

変わった形の待合室。

大原方面

上総中野方面

西側から見ると簡素な待合室です。

なぜか大きな「おみくじ」がありました。

 

 通り過ぎてしまった「久我原駅」に向かうべく引き返して味の研修館に入る道を進んでいくと、細い農道になってしまったので地図アプリで現在位置を調べてから坂道を登ると、ルート465に出る高架の道に出た。465から久我原駅に行く道に入るには、踏切を渡るのではなく、高架で線路を越えるようになっていたのだ。地図ではわからない。

 細い山道を500mほど行くと右手に自転車置き場らしき所があった。ここも注意していないと通り過ぎてしまう。

 

4.久我原駅  くがはら

 単式ホーム1面1線。駅の命名権を取得した「三育学院大学」はここから南東に2kmほど行った所(297大多喜街道、夷隅川の東側)にある私立の看護大学。キャンパス内には学生寮が3棟もあるので、(270名を収容)いすみ線で通学する学生はほとんどいないのだろう。看護学科の学生は近年、男子学生も増えてはきたが、まだ2割程度で、やはり女子学生が多い。年頃の娘たちがこの田舎道を通学することは、いくら日本は治安が良いとはいえ不安に思うのは私だけでは無いと思う。寮制が正解。

 久我原駅はいすみ線の中でも「山中の駅」感が一番感じられる駅だ。

この坂を登った先に久我原駅があります。

駅入り口です。

大原方面。ホーム幅はかなり狭いです。

上総中野方面。線路と並行した左の細い道が先ほど上ってきた道です。

質素な待合室に、大学の看板が掲げられていました。

 

 再び国道465に戻って、東総元駅を過ぎて1kmほど走り、夷隅川を渡る蟹取橋の手前を左折して300mほど行くと「小谷松駅」がある。

 

6.小谷松駅  こやまつ

 単式ホーム1面1線。2年ほど前にここの待合室がテレビ放映されたらしい。

久我原駅の待合室とよく似ています。

駅名標。ここもホームは狭い。

大原方面。

上総中野方面

紫陽花の花期は過ぎているので茶色くなっていますが、6月に来て撮りたいアングルです。

下り列車が来ました。キハ20形1303 です。

 

 来た道を戻って、465で橋を渡って大多喜街道に当たったら左折して400mほど行って再び左折して1kmほど走ったところで「天然ガス井戸発祥之地」という石碑を見つけた。 解説板を要約する。

 『明治二十四年,醸造業を営む山崎屋太田氏が,屋敷内のこの場所に水井戸を掘ったところ,泡を含む茶褐色の塩水ばかりで真水は一滴も湧出しなかった。気落ちして口にしていた煙草を何気なく水中へ投げ捨てると,水泡はたちまち青白い炎を挙げて盛んに燃え出した。これが日本初の水溶性天然ガス井戸となった。その後,大多喜町の各処には多数のガス井戸が次々と掘削され,住民は長期に渡り大地の恵みを享受した。昭和六年に日本初の天然ガス事業会社として大多喜天然瓦斯株式会社が設立され、昭和十年には日本で初めて天然ガスを原料とする都市ガスの供給も開始した。県下のライフラインを支える今日の天然ガス事業の起源は,この場所に掘削された一本の井戸であると言えよう。関東天然瓦斯開発株式会社 』とある。

(余談だが昨年、井戸を掘る「上総掘り」の櫓を袖ケ浦市郷土博物館で見ました。)

天然瓦斯井戸発祥之地の石碑と解説板。

 水溶性天然ガスは、地下では地下水に溶解しているが、圧力が解放された地表では水から分離して気体になるガスのことで、千葉県を中心とした「南関東ガス田」は日本最大の水溶性天然ガス田だそうだ。日本国内の天然ガス埋蔵量の9割を占め、その埋蔵量は 1,000億 m3 と推定されている。(wikipedia)  千葉県が天然ガス日本一とは知らなかった。

 

 道なりに走って夷隅川を渡って250m行ったら左折して城下町通りを北上すると、左手に国の登録有形文化財の指定を受けた江戸期創業の老舗「大屋旅館」があり、その脇に「夷隅神社」の鳥居がある。代々の大多喜城主に崇敬、加護された由緒ある神社だ。参道を進んで参拝。安全を祈願してからさらに行くと城下町通りは右にカーブする。ここにも歴史を感じさせる佇まいの和菓子屋と酒蔵が建っている。少し進むと城下町通りは今度は左折して北に進む。ここに限らず城下町の入り口は街道がカギ型になって敵の侵入を防ぐ構造になっている事が多い。

登録有形文化財の大屋旅館

厳かな雰囲気の夷隅神社

蔵造りの商家「釜屋」

 ここから大多喜城の案内塔のある「四ツ門公園」までの500mほどにも風情のある商家が左右に見られる。その景観は「房総の小江戸」と呼ばれて観光客を集めている。

 四ツ門公園の先で左折して線路をくぐり、線路沿いに戻るように進み、大多喜駅の西側を通って緩い坂を登ると「大多喜城大手門跡」、「八幡神社」があり、さらに進むと「大多喜城本丸跡」に建てられた県立大多喜高校がある。敷地内には「二の丸御殿薬医門」、「大井戸跡」があるが校内は『関係者以外立ち入り禁止』だろうから、天守跡に建てられた博物館に向かう「メキシコ通り」を進む。

 昭和53年(1978)にメキシコ大統領が来日訪問。メキシコのクエルナパカ市と姉妹都市となり、大統領が大多喜城に向かわれた道はメキシコ通りと名付けられた。それには、『江戸初期にフィリピンからメキシコに向かっていた欧州の船が御宿(おんじゅく)沖で座礁難破した際に、漂流した乗組員を現地の漁民たちが助け、その後、乗務員一行は徳川幕府から船を与えられてメキシコに帰還した。』という逸話がある。

 駐車場に自転車を止めて再建された天守を見に行く。この高台には戦国時代から城が存在したが、天正18年(1590年)、徳川家康の四天王の一人、本多忠勝(ほんだただかつ)が城主となったことで大多喜藩10万石が成立し、城が整えられた。忠勝は城下町の整備、六斎市の開催なども積極的に行った。大多喜城は藩の拠点として幕末まで重要な役割を果たしてきたが、天保13年(1842)天守が焼失、明治三年(1871)明治維新により城は取り壊された。

再建された大多喜城天守閣

 昭和50年(1975)城跡に天守が再建され、内部に千葉県立「総南博物館」が設置された。千葉県と大多喜町は2021年に施設を町に移譲することで合意しており、将来的に大多喜町の町営博物館になる予定である。 

 ちなみに観光客が多く訪れる「小江戸」というと、埼玉県の川越が有名だ。蔵造りの街並みや、大正浪漫を感じる通りなど一見の価値がある。しかし川越は観光客が多すぎる。敢えて雨の日に行っても大勢の観光客でごった返していた。アジア系外国人が多い。

 栃木県の栃木市内も蔵の街として有名だ。また、大正浪漫好きの方には茨城県石岡の看板建築がお勧めだ。その他、関東近県にも魅力的な町はたくさんある。興味は尽きないが今日はこれ以上の観光はまたの機会に譲ってメキシコ通りを戻って「大多喜駅」に向かう。

 

7.大多喜駅  おおたき

 いすみ鉄道の拠点。車両基地、本社社屋もここにある。昭和五年(1930)鉄道省木原線の終着駅として開業。関東の駅百選に選定されている。相対ホーム2面2線だが、東側の下り1番線ホームと上り2番線ホームは離れており、相対していない。1番線ホームの南端と2番線ホームの北端は構内踏切で往き来する。2番ホームの西側の側線に「いすみ300形」が停まっていた。1番線の東側には全車両の拠点である車庫がある。また、駅前には観光案内所、天然ガス記念館があり、いすみ線で訪れた観光客の起点となっている。

 時計塔のある駅舎。赤いポストが良く似合っています。

待合室側から見た改札口。

ホーム側から見た改札口。

大原方面。

上総中野方面。上りホーム、構内踏切。

上り線の待合室。この裏に待機線があります。

待機線に いすみ300形が停まっていました。

列車の拠点となる車庫は本線の東側にあります。

メキシコ通りの踏切から見た車庫。

 

いすみ鉄道 前編はここで中締めです。後編をお楽しみください。